日常のちょっとした不幸を探すのに長けている。気づけば自然とネガティブなことを考えて、なんにもないところから勝手に不安と焦りと憤りを感じて辛くなる。まさに自家中毒状態。いや、もはやネガティブ思考の天才なのでは?と思ってしまうほど。
まだ起きてもいないことに不安を強く感じることがよくある。遅刻したらどうしよう、何か言われたらどうしよう、このままでいいのかなんて。起こりもしないことと漠然とした不安に心を支配される。
不安を感じるけどじゃあ一体何が不安かというとわからない。漠然とした気分ベースで落ち込んでいるから。そしてその不安が雪だるま式におおきくなっていく。まさに自家中毒。不安の永久機関。不安の総合デパートだ。
でも不安って必ずしも悪いことなのだろうか。
不安って防衛本能というか、生きていく上で必要な感覚であると思う。不安だから調べたり準備するし、用心したり警戒する。なにかしら自分に危害を及ぼすものがあるから不安になるわけだ。
でもその自分に危害を及ぼすものが、漠然としていたり想像上のものでほとんど現実的に起こらないものだったりする。だから不安だけど何が不安がわからなくて、その不安に覆われてしまうのだ。
じゃあどうすればいいのか。
とりあえず不安を感じていることを受け入れる。不安もまた何かしらの信号であるわけで、これを無視したり押さえ込もうとうするのはよくない。余計に不安になる。「今から絶対ホッキョクグマを想像するな」と言われたらついホッキョクグマを想像してしまうように(想像してしまう・・・よね?)。
不安を受け入れた上でどうするか?
なんでもいいから手を動かす
なにか行動をすること、なんじゃないかと思った。「手を動かす」は比喩的な表現かもしれないけど、文字通り手を動かす作業でもいい。
思うに、「もし〜だったらどうしよう」とひたすらネガティブなことだけ考えてるからどんどん不安ばかりが募るわけだ。だったらそのネガティブなことを考えていることをなにかほかの行動に置き換えればいい。
ネガティブを潰すのはポジティブじゃなくて没頭だ
とオードリーの若林がいっていた。この言葉を聞いた時、まさしくそうだよなと私は深く感心してしまった。
不安な気持ちをポジティブな気持ちで無理やり置き換えるのではなくて、なにか他の行動で埋める。それって現実逃避じゃんと思うかもしれないけど、今抱えているその不安の大部分は現実ではなくて憶測なのではないだろうか。そもそも現実ですらないし、それに現実逃避が悪いわけでもない。
没頭できることを見つける。なんでもいいんだけど、例えば酒とかギャンブルじゃなくてできれば身になることのほうがいい。
とりあえず行動を起こしたいなら掃除や散歩がいい。手っ取り早く行動できるし、身の回りの整理と運動なんてどちらも損はない。別に大掃除や何十キロも走るランニングをしようというわけではない。5分くらいでいいから掃除機をかけたり家の周りを歩いたりその程度。
ちなみに掃除は仏道では修行とされている。身の回りを綺麗にするのはもちろん、心に積もった「汚れ」を綺麗にする時間でもあるんだとか。ただの掃除がとても徳が高い行為に思えてくる。