あなたの暮らしを重くする
自分でもよくわからないテーマを掲げて活動してだいぶ長い時間が経つ。
そんな暗中模索ななか私がやっているバンド、沈む鉛の自主企画も気付けば9回目。今までは3~5バンドほどを呼んで企画をしていたのだけど、もっと深く対バン相手について知りたいと思うようになった。
そこで、個人的に重生活をしていると思うバンドとツーマンをしてもっと相手のことを知ろうと、そう考えたわけである。
重生活って何?
改めて重生活ってなんなのだろう。自分で思いついた言葉にずっと悩まされている。
過去にも同じことを考えていて、なんとなくかたちにしてみたわけだけど今でも大枠はそう変わらない。
誰かや時代に流されることなくちゃんと自分で考えて行動できる。安易に流されることのない重たい暮らし、それが重生活なのだ。
重生活にはこだわり(矜持)がなければダメだし、好きなものを愛でていたいし(偏愛)、より良い暮らしもしていきたい(向上)と考えている。
だから矜持・偏愛・向上の3つのテーマから肉薄していく。
初回の相手はJapanese Abyssal Coreを掲げ活動している地底湖。ベースボーカルの詩音氏にインタビューを行った。
インタビュアー:外山鉛
写真:ばたこ(アーティスト写真、ライブ写真は除く)
鉛:簡単に自己紹介をお願いします。
詩音:詩音です。地底湖というバンドでベースボーカルを担当しています。
鉛:地底湖はどういったバンドなのか教えてください。
詩音:法政大学のロック研究会というサークルで知り合ったメンバーと2019年ごろに結成しました。そこから3人体制で何年かやったあと、2023年に今の編成になりました。
大きく影響を受けているのは、多分King CrimsonとTOOL、あとPrimus。この辺りがやっぱり好きで、そういうちょっとおどろおどろしいことをしつつ、なんかちょっとしたポップさも取り入れつつ、硬派にジメっとやるみたいなのを目指していたのですけど。
やっぱり根底にあるのが、9mm parabellum bulletとか凛として時雨とかの、いわゆるロキノン系とかいわれることもあるようなそういう音楽が元々好きだったので、今はもう自分らの音楽性としては結構J-pop寄りになるのかなという風に個人的には思ってますね。
鉛:なるほどね。
鉛:じゃあ影響受けたベーシストもLes Claypool(Primus)やJustin Chancellor(TOOL)あたり?
詩音:そうですね、そこらへんがやっぱり大学時代からすごい好きで。あと、八十八ヶ所巡礼も大好きですね。マーガレット廣井さんのベースラインはかなり参考にしてます。
鉛:なるほど。音もそっちに寄せてたりするの?
詩音:できれば寄せたいと思ってるんですけど。でもなんか今はギターをかなりアクティブにしてやってるので、それについていくようなベースプレイをハキハキ・バキバキしたもの、ぐしゃぐしゃしたものを中心にやってます。はい。
鉛:まだ新しい編成での地底湖のライブを観ていないからちょっと早く観たいですね。活動休止もしてたよね?
詩音:まあ事実上のというか。
鉛:2、3年はあんまり動いてなかった?
詩音:どうだろう。2年くらいは停滞状態というか……
鉛:それはなんか理由があったの?
詩音:ちょうどその辺りに、背前逆族(当時はまだ「うしろ前さかさ族」名義)に加入したっていうのもあって。で、あと、 ちょっと(曲が)降りてこないなというか。アイデアがなんか若干わかんなくなってきたなっていうのもあり。背前逆族は非常に活動的にメンバーとしてやらせて頂いていたので。
鉛:そうだよね。忙しかったよね。
詩音:マーフィーさんとやっていくうちに、やっぱり自分で作ったものもやりたいなって気持ちが増していって。
鉛:あと、なんかバンド関係で話しておきたいことあればどうぞ。
詩音:2024年の3月にEPをリリースしていて、「YOSHIKO ver.1.01」っていう3人体制時代に1番最初に作った自主制作の音源を今の体制でブラッシュアップして作った4曲入りのものがサブスクとかにもあがっています。で、もう1個現在アルバムを制作中で。それは近いうちにリリースしようという感じです。
主張だとか、テーマだとかそういったものを設けずにやろうという気持ちが強くて。
鉛:「矜持」「偏愛」「向上」の3つで話聞きたいんですけど。まずは矜持について。なんかこだわりとかプライドってありますか?
詩音:こだわり……そうですね。それは作ってる音楽についてのことですか?
鉛:もうなんでも。音楽限らず、自分の性格とかでも含めた話。これはいつも念頭にいれているとかここだけは譲れないとか。
詩音:なるほど……結構小説とか読むのが好きで。自分で、書いてたりもするんですけど。音楽も作ってるし色々作りながら生きているなという風な気がするんですけど。そういった自分の創作関連で通底しているかもなっていうところだとなんか、主張だとか、テーマだとかそういったものを設けずにやろうという気持ちが強くて。
鉛:なるほど。
詩音:何らかの作為的なものですとか、何か自分、自分じゃなくても何かしらの意図がないと発生しないようなものではなくて。
ただ、そこにあることが美しいみたいな。ただそこに存在することの面白さっていうのを追求したいなっていう風には思っています。そういうのが好きだからなんですけども。
鉛:へえー
詩音:なんか、文章だったり創作物を自分の考えとか主張みたいなものを展開するための道具にしたくない。 っていうのはやっぱりこだわりの1つとしてはあるかもしれないですね。
鉛:なるほど。
詩音:なので歌詞とかサウンドとかも今までの文化とか主義主張とかそういったものではなくて、シンプルに聞いて気持ちいいかどうか。自分がその音楽がそこにあるっていうのを感じて気持ちいいかどうかっていうのを重視してやってます。
鉛:そうだったんだ。
詩音:なので、人殺しの曲とか今すぐ人類が全部滅亡するために祈る曲とか結構あるんですけど。今自分がまさにそう感じているからとかではなくて、そういう思いとかそういう心の動きとかがそこに、曲の中に存在してることのかっこよさとか面白さが伝わればいいなというか感じてもらえると嬉しいなっていうそんなテンションでやっていますね。
鉛:なるほど。じゃあやっぱ純文学とかも好き。
詩音:はい、そうですね。
鉛:大体オチない感じだもんね純文学って。日記じゃん言ってしまえば、あの時代の私小説って。あれも確かになんもないけど存在していることの美しさというか。
詩音:まさにそれが好きで純文学を読んでいて。物語の展開とかキャラクターの相互作用みたいなものも好きっちゃ好きなんですけど。そうじゃなくてその文章っていうか、言葉自体が紙にあって、それが目に入って解釈して噛み砕いて飲み込んでっていうところの心地よさが自分は1番好きで。 で、特に純文学からそういう面白みを感じるから好んで読んでますね。
鉛:あー、なるほどね。じゃあ小津安二郎とか好き?
詩音:いや、そんなには通ってこなかったですね。
鉛:映画となると好みがちがうのかぁ。映画は人が死なないと納得しないんでしょ(笑)?
詩音:そうですね(笑)。映画の楽しみ方がちょっと変なのかもしれない。
鉛:変わってるね(笑)。
詩音:映画だと今おっしゃってくれたみたいな人がたくさん死んで、なんか色々爆発とか銃撃が起こってるみたいなのが好きなんですよね。
鉛:映画に何も起きなさは求めてないんだ?
詩音:そうですね。
鉛:映像美とかさ、あるわけじゃん。ストーリーもなんもないけど、ひたすら画が綺麗だから許せるみたいな。
詩音:なんだろう、何も起きなさというよりは、そこに命がある、命の動きがあることの面白さを僕は好んでいるので。どっちかっていうと銃を撃ったり、人が死んだり殺されたりっていう中での空気感みたいな。
刀で人がバっと切られてピシャって血が飛んでっていうそれが切り取られてるってこと自体の面白さの方が好きかなっていう。なので別に人が死ななきゃよくないとか言い過ぎですね(笑)。
だから、どっちかっていうと展開とか物語の進め方ではなくて、セリフとかお互いのやり取りとか視線とかそういったものにかっこいいなぁとか気持ちいいなぁとか思うことが多いので。
鉛:それでクエンティン・タランティーノとか好きなのか。
詩音:そうですね、タランティーノの一瞬の表情とかカットとかハッとするような感じがすごく好きです。
鉛:ジム・ジャームッシュは?
詩音:ジム・ジャームッシュはコーヒー&シガレッツっていう映画があって、もうずっと2人でのいろんなパターンの会話を役者がやってるみたいな作品があるんですけど、あれがすごく好きで。会話とかセリフが面白いとそれだけでのめり込んでしまう。
鉛:なるほどね。でもコーヒー&シガレッツが好きってことは確かに純文学に近しいものがあるよね。
詩音:そうですね。
詩音:ちょっとこれ個人的な経験の話になっちゃうんですけど。大学時代に作家の青山七恵さんの文芸創作講座っていう授業を受けていたことがあって。それがきっかけで自分も純文学の雰囲気で文章を書いてみたいなって自分で書くようになったんですけど。その授業ですごく印象的だったのが、鉤括弧とか使って会話にするんだったら、それなりの覚悟を持って鍵括弧の中に(言葉を)入れないとダメだよっておっしゃっていて。
テニスに例えるとラケットでボール打って、相手のコート内に入った球をそのまままた相手のコート内に返すような会話はわざわざ鉤括弧に入れる意味がない。
むしろ相手のコートの外に放って、それをまたコート外に打ち返すような会話・セリフじゃないと、鍵括弧に入れる覚悟は整ってるとは言えない、っていう風に授業で教わったんですよ。
で、僕自身のマインドというか心持ちもだいぶそれに近いというか。何かしら心に触れるような言葉だとか、その瞬間だとかをそのままの形で味わいたいなって思ってますね。なのでそういう意味だと普通に歩いてて面白い会話が聞こえたりしたら聞きたくなってしまうし。(歩きざまに聞こえる)工事現場の人の会話とか。友達から聞いた話でいいなぁ味わい深いなと思ったものは、「それもらっていい?」って言って許可取るようにしてますね。ちょっともう1回話してくんない?って言ってLINEにメモしたりしてますね。
鉛:最近の味わい深い話はなんですか?
詩音:ありますよ。久しぶりに会った友達の勤めてる会社の新人がかなりやばいやつだっていう。 全然仕事ができない、というかもう仕事ができないっていうレベルじゃなくて。
配属初日に椅子の組み立てをやるときにネジを知らなくてずっと(ネジ穴を)カチャカチャやってて。椅子組み立てられないらしい。「それはこうやって回すんだよ」って(その友達が)教えてあげてると、「おー」みたいな。
本当に何もできなくて、マニュアルを読んでやってねって言っても、すぐに聞きに来て自分で調べようとしない。「そんなんじゃダメだよ」って上司が怒ったりしても、全く心に響いてなくて。お説教が終わった後に一応心配だからどうだった?って友達が聞いてあげたら「あの人は僕に仕事くれません」みたいなこと言っちゃうやばいやつがいるらしくて。
鉛:なるほど(笑)。
詩音:で、そいつがジップロックに毎日お菓子の詰め合わせを持ってきて。普通の社会人の男の子、新卒で入りたての子がそういうのを自分でやってるとあんまり思えない。
鉛:あー確かにね。
詩音:すごい丁寧にジップロックで包んであって。その人の所作とか生き方からして自分で詰め合わせてるんじゃない気がすると。
鉛:はいはいはい。
詩音:多分お母さんが過保護でもう甘やかされて来たからここまで何も知らなくて。だから毎朝お母さんがそいつの今までのお気に入りのお菓子をジップロックに詰めてあげているんだろうなって。そう思うとすっごい胸がぞわぞわするみたいな話を聞いて、なんていい話なんだろう(笑)、なんて俺はいい友達を持ったっんだろうって(笑)
鉛:(笑)。なにがいいなって思ったの?
詩音:それを見てお母さんの過保護さであるとかその人の今まで生きてきたあり方だとかを、俺の友達がそういう風に想像したっていうことがすごく素敵で面白いなってなる。
鉛:あーなるほどね。
詩音:こんなこと超他人事ですけどね(笑)。そんなやつ仕事してて俺の後輩とか部下にいたらすごい頭を抱えてしまうと思うんですけけど。
鉛:いや、間違いない。
詩音:他人事だから面白がれるんですけどそういうのを聞くと素敵だなって思って。その時も「ちょっと待って。メモするわ。」ってLINEアプリ立ち上げてメモしましたね。
鉛:なるほど。確かにそういう意味ではすごくいい話だな。
詩音:そういう心の動きだったり瞬間だったりを自分も作ってみたくてやってるってのはあります、間違いなく。
鉛:自分が書いてる小説にもやっぱりそういう面白さが反映されていたりする?
詩音:そうですね。そもそも文章書きたい理由もなんか感じたことだったり面白いなって思った瞬間瞬間を書き起こしたいっていう理由からです。 そういう気持ちで創作してるし生きてるしって感じなのかな。
後編につづく。
告知
2025/02/23(日)@大塚 Bar地底
沈む鉛企画「暮らし × 11.34」Vol.9
[ ACT – RITUAL – ]
地底湖
沈む鉛
[ DJ – SOUND MASSACRE – ]
reco
OPEN: 19:00
CHARGE: 2,000yen + drink